つくり手とつかい手
いつ終わるやも知れぬ、見えない脅威の中で、働き方・生活スタイル、暮し方の大きな変革期の真っ只中。
いつ来るやも知れぬ、オンラインでの仕事に備えながら、静かな時間が流れている。
四月の沖縄とは思えないほどの、肌寒い曇り空の日曜日。
写真は 昨晩の夕食時。
料理を取り分ける、妻の手がとても綺麗に見えた。
ふと画角に収まっているものを一つ一つ拾い、見てみると、
そこには、
大好きな作家さんのお皿。大きいものと小さいもの。
以前、作家さんとお話しさせていただく機会を頂いて、
作家さんから生み出される作品は勿論のこと、
鋭く厳しい眼の中にも、とても深い優しい心を拝見したように感じ、その人柄にとても感銘を受けた。
こんなかっこいい大人になりたい。と、お皿を使う度に思い返す(ファンか、ファンだ。これは。)
大きいお皿は、夫婦共々お世話になっている方から頂いたもの。しかも、作家さんとのご縁を繋いでくれた方。
子供達も含め、家族皆で歓喜をあげるほど嬉しかった。
つくり手の顔や、人柄が見えるモノと、
それを伝えてくれる、
つかい手の中で生活しているのだ。
ということに嬉しくなり、感謝の気持ちでいっぱいなった。
つくり手側も
つかい手側も、
取り交わされるお金以上に、気持ちを伝えていくことがとても大切なのだと思う。
と同時に、
オンラインでのやりとりが進み、
お互いの顔や、手が実際触れ合う機会が減っていく中で、
伝え合う事の難しさを考えると、とんでもない時代だな。
と、やっぱり怖くなったりもする。
会って話す事も、
握手する事も、
学校で友達とふざけ合う事も、
家族に会いにいくことも、
大切な人生の瞬間に立ち会うことも、
最期にいてあげられることすら叶わない、
そんな、とんでもない想像もしなかったような、しかし、確実に、今を生きていることをしっかり心にき刻み、
こんな時だからこそ、
日々の暮らしの中で、
今までは気にも止めなかったような、どんなに小さな喜びも、
大切に拾い集めて、
これから未来を作っていく、
子供達にとってマイナスにはならないような伝え方をしていきたいと思ったのでした。